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肩まで伸びる黒髪をレースのリボンがアップにまとめ、垂れた前髪が淡く輝く星空を彩っている。鋭く和らいだ頬の細長い線が、童女の愛らしさを持つ丸い瞳や紅く小さい唇と相まって、魔性と化した聖女を思い興させる。
妖艶でいて清楚なしぐさは現代に甦る伝説の女神なのか、恋に憂いを秘めるひとりの少女なのか、それとも他の何者なのか、それが叙事を司る古の預言者であろうと、叙事詩を織りなす詩詠いであろうと、幾何を巧みに操る科学者であろうと、その真実の輝きを解き明かすことは永遠に不可能に違いない。
そうした雰囲気を事もなげに着こなし、それでいて、陽気に軽やかに笑うのが香帆だった。美女と云う美女ではなく、現代風の可愛らしい女性だ。
香帆がこの街に来て4年が過ぎようとしている。大学院に進みたかった。この街に残る為に。
朝まだ開けきらず、夜露に濡れる空気。深く、緑に彩づき、神霊の宿る木々。高貴な女人の吐息に包まれた街路。その中に静かに佇む男。黄色い麻のジャケットが似合う男。穏やかに喋り、優しく笑う男が住むこの街。
香帆はこの街に住みたかった。
春間近い日差しに照らされた、ガラス張りの窓辺の席に香帆はひとりで女友達の奈保子を待っていた。テーブルに頬づえをつき、何気なく窓の外に視線を漂わせ、行き交う人の流れを眺めた。
黒い大きな鞄を持ち、汗を少しかいて行くサラリーマン風の男。何処かしら上品な様子で二、三人連れ立つ着物姿の女性達。恋人同士らしく手をつなぐ学生。子供の手を引く母親。暖かなそよ風が舞う。
香帆は慣れた様子で、煙草を一本取り出し火をつける。深く息を吸い込み、ゆっくり呟くようにゆっくりと、煙を吐いていく。紫に輝く煙が霧散するのを気怠く感じ、香帆は自分が何時から煙草を吸い出したのか考えた。
大学に入って一人暮らしを始めた頃、小さな本棚を買って、美術史の関係書を並べた。ナイトライトは花柄のを買って、それを置いた壁にルノワールの絵を掛けた。小さなテーブルにはフリージアを買って育てた。キッチンも部屋も何時もきれいにしていた。入学祝いに貰ったくまのぬいぐるみにヘビースモーカーと名付けたけれど、灰皿はまだなかった。
大学二年の頃、夜に紛れる様に良く遊んだ。サークルの飲み会、クラスコンパ、遊べるだけ遊び回って奈保子に怒られた事もあった。人の席の灰皿を新しいのに取り替えて回ったりしたけれど、自分たちのはそんな必要なかった。
三年になる春、奈保子が失恋した。自分達の部屋で朝まで飲み明かした時、その時初めて口にした。少し煙たく思うだけで、不味いとも美味しいとも思わなかった。小皿の上に置いた、二本の煙草から煙が真っすぐ伸び、やがて、紫色に揺らいで絡み合う。最後には空中へ霧散する様子を二人で眺めていた。
三年の秋だった。舞台を見に行ったその劇場で、久しぶりにその男と会った。男は女連れで、それが気になってとても舞台所ではなかった。仲は良く見えたが、恋人同士にも見えない。それでも女の方にはその気があると、香帆は直感していた。片思いを続ける女ならでわの直感だった。
ロビーで声を掛けられ、彼女を紹介された。髪の短いボーイッシュな女性で、自分とは違うと思った。会社の同僚という言葉に少しほっとした。一緒に食事でもと誘われたが行けなかった。その日、香帆は灰皿を買った。
去年の夏休み、香帆はしばらく帰郷していた。大学院へ進むのは反対されていた。香帆の父は女に余計な学歴は要らないと言い切る人だった。四年制の大学を受けるのも反対した位だった。香帆には大学院でなくても良かった。留年しても、就職しても、どちらでも良かった。ただ、この街に居たかった。そして、時折、男に会えたら良かった。そんなことは言えないので、余計剥きになって言い争うだけだった。
アパートに戻ってみると、フリージアがしなだれて枯れ掛かっていた。それを見た香帆の煙草の量が増えた。
奈保子が来た。瞳を細めて幸せそうに笑うのが実に印象的な彼女は高校からの友達だった。奈保子はこの秋に結婚する。それまで、アルバイトをしながら気ままに過ごすつもりでいる。
香帆は大学院へ進む。そして、煙草を止めるつもりでいる。紫に光る煙が霧散するのを見るのに疲れていた。以前は、それが好きでしかたなかったのだけれど。
香帆の部屋でフリージアが咲いていた。
紅、黄、白の花がそれぞれ誇らしげに咲いていた。
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