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牡蠣の貝殻
上島 浩(1985年)

 太郎はよくこの浜に来て、母の仕事を手伝ったものだった。母の仕事というのは、沿岸の養殖場でとれた牡蠣を、キリのようなもので中身を取り出して出荷出来るように仕上げるのである。テーブルの上に山積みされた牡蠣を一つ一つ処理していく器用な母の手を、不思議な思いで見ていたものだった。
「そんなに面白いか」
 母は、テーブルの端にあごをのせてじっと様子を見ている太郎に、そう尋ねた。太郎は何も言わないで、こっくりと頷いた。
「どうや。かあちゃんが作る牡蠣は日本一や。何ちゅうても、かあちゃんの心がこもっちょるけん」
 そう言って取り出された牡蠣の一つをポリ容器の海水で洗い、太郎の口の中へ放り込んだ。
「うめえか?」
 太郎の顔を母は覗き込んだ。太郎は恐る恐る食べてみた。この時、生まれて初めて牡蠣を口にしたからである。子供の味覚にとって、お世辞にも、おいしいといった代物ではなかった。しかし飲み込んでみた時、なんだか母の大切なものを自分の体内に取り入れたという気がして、うれしくもなり、太郎は思わずほほえんだのである。
「ボンがうめえと見えて笑うちょる。おらぁ小さい時、牡蠣を食った時、こんなまずいもん世の中にあったものだと思っちょったが、ボンはちょっと違う、大人の味が分かるようじゃ」
 そばで見ていた加工場長の為さんが言った。

 大平洋戦争が次第に激しさを増してきた。集団疎開ということで、太郎は母と別れて暮らさなければならなくなった。それから何ヶ月も経った、その八月六日という日に、太郎が預けられている、おじいさんのこの家にも、広島で新型爆弾が落されたというニュースが伝わってきた。

 おじいさんと太郎は、急いで広島へ向かった。二人とも心配はつのるばかりだったが、交通が全くと絶えていて、ようやく広島へ到着したのは八月十日であった。辺りは見渡す限り焼け野原となり、どこがどこであるのか全く分からなかった。二人はそれでも八方手を尽くして母親を捜し回った。しかし、何日経っても何の手掛りも見つけられなかった。
「かあちゃん、生きているね」
 太郎は、おじいさんを見上げた。
「心配しなさんな、大丈夫じゃ」

 そんなある日、二人は海辺へ来て、かつて母親が働いていた牡蠣の加工場へ寄ってみた。驚いたことに、工場は跡形も無いのに、あのテーブルだけは、そのままの姿で残っていて、わずかではあるがその上には、牡蠣の貝殻があった。
 その時突然、太郎がぶるぶる震えだした。おじいさんはびっくりした。
「どげんした。寒いんけ」
 太郎は首を横に振った。
「怖いんけ」
 また横に振った。
 喋りたくないのか、それとも本当に自分でも訳が分からないでいるのか、おじいさんには理解出来なかった。

 二人は母親の消息が何も得られぬままに、田舎へ戻った。太郎はおじいさんの家で暮らすことになった。ふだんでも大人しい子なのに、母がいなくなってからというもの、全く喋らない子供になってしまった。

 おじいさんが太郎の奇妙な行動に気が付いたのは、それからしばらくしてからのことである。家の中が、臭くてたまらないようになったと思ったら、どうやら太郎が牡蠣の貝殻を集めているということだ。しかも、中身が入ったままの牡蠣だから、当然腐って悪臭を放つようになってくる。そんなものがどっさり机の中に入れてあったのである。おじいさんはそれらを全部、捨ててしまった。

 太郎は帰って来て、そのことに気が付くと、別におじいさんを恨むでもなく、一声だけ「かあちゃん」とつぶやいた。そしてうつ向くと、じっと黙ったまま涙を浮かべてしゃくり上げていた。

初出/「ふぁんしい」9号(1985)
再出/ふぁんしい10周年特別号「Little Wings・SPECIAL」(1987.5.25)


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